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3.タイル生産の躍進

トンネル窯の設置

戦後、当地域のタイル生産は、見事に復活した。
戦災後の復興事業や、占領軍関係の新しい需要により、タイル生産が次第に増強されることになった。極めて高率の物品税もだんだん引き下げられ、かつて贅沢品扱いであったタイルも、その特質を活用して、ようやく一般家庭のいろいろの場所で、利用されるようになり、需要は増加の傾向をたどった。
需要の増大は、タイル生産の拡大を呼び、それまで食器生産を行っていた製陶業者も、タイル生産に切り替える業者が増加し、タイル生産技術の改善向上とあいまって昭和30年代にはタイル生産の飛躍的な発展期を迎えた。
タイル生産増強を促進させた第一の原動力は、能率的な焼成窯の開発、すなわち石炭単独窯にかわる、重油トンネル窯の設置であった。
昭和30年(1955)、笠原町の山京製陶所が、他に先がけてモザイクタイルのトンネル窯を設置した。笠原におけるトンネル窯一号である。この窯は、長さ30メートル・サヤ2本立て、8分角35入りの小型トンネル窯であった。トンネル窯は、既に他地域で稼働していたが、酸化による施釉モザイクタイルの焼成窯としては、当地域で最初の築窯とされている。
この小型トンネル窯の建設は、高砂工業が請負い、社長の陣頭指揮で完成されたが、期待通りの成果をあげて、窯業界の注目をあびた。笠原でのタイル焼成のトンネル窯が成功したのを機に、町内のタイル業者はもちろん、他地域でもトンネル窯の増設が続き、昭和33年から34年にかけて、単独窯からトンネル窯への転換が目立った。
昭和30年以来、能率的なトンネル窯が多く設置されて、その成果をあげたが、一方生産過剰をもたらし、後にその不況対策に頭を痛める問題が発生した。
昭和34年(1959)9月に発生した伊勢湾台風は、笠原町の窯業界にも、甚大な被害をもたらした。当然タイル産業もその影響をうけ、一時的に減産状態となったが、台風後の生産復活は、比較的順調であった。むしろ台風後の需要増加も手伝って、次第に生産拡大に発展し、この結果、早くも翌年には生産過剰状態となった。これに加えて当時の関税攻勢のしわよせもあり、昭和35年の後半には、町内40社のうち、11社も倒産に追い込まれるという騒ぎも発生した。
しかし、昭和38、39年には、再びタイル好況期を迎え、このころ県外からの労働力受入も、ピークになった。若年従業員の増加により、その非行防止のため、町内に青少年パトロール隊が結成された。また、九州田川鉱業所のタイル界進出計画でタイル生産地域が緊張状態となったのも、ちょうどこのころであった。
激動するタイル業界の対策として、全国的な規模で生産調整事業を実施する必要に迫られ、昭和38年(1963)6月には、全国モザイクタイル工業組合が設立され、岐陶工連のモザイクタイルの調整事業は、全国モザイク工業組合に移譲された。
全国モザイクタイル「工業組合」の初代理事長には、鈴木計男が選ばれ、岐阜県支部が笠原陶工組合事務所の二階に設けられた。その後昭和63年1月に、多治見市平和町にあった全国タイル検査技術協会と共同で、笠原町梅平に事務所・検査所を新築して移転した。
全国モザイクタイル工業組合本部の事務所は、名古屋市内に設置されているが、事業活動の実質的な推進役は、岐阜県支部(笠原支所)が行っている。平成2年現在、全組合員は129社で、大部分は東濃地域の業者で占められているが、笠原関係の組合員は、73社となっている。

タイル生産の技術革新

窯業界で最も技術的革新が進んだ分野は、タイル生産の分野といえるであろう。モザイクタイルのトンネル窯開発も、その一つの現れである。昭和30年以後の厳しい生産競争のなかで、なお焼成窯の新しい改善を含めて、タイル産業活動の全般にわたって、技術革新が促進され、タイル産業が発展した。
昭和31年5月(株)杉浦製陶所では、それまでの手作業による釉がけを、ベルトコンベアを利用した自動的施釉の装置(モザイクタイル中間装置)の完成によって自動化し、タイル生産の能率をあげることに貢献した。この技術開発が認められて、全国発明協会賞をうけた。
これ以後も、坏土からから焼成に至るタイルの生産工程において、多くの開発・改良がみられ、生産の自動化・機械化・大型化が一段と進み、生産能率も飛躍的に向上し、また、新製品の生産を助長させた。
タイルの坏土製造工程のなかで、スプレードライヤーの開発による坏土の顆粒化は、成形用素地土における画期的な技術革新であった。従来の坏土顆粒粉製造は、泥漿原土をプレスで脱水させ、これを乾燥して製粉化するものであった。新しい製土法は、泥漿原土を高所から噴霧して落下させ、この工程中熱風を送りこみ、原土が落下するまでに乾燥させるという方法である。
スプレードライヤーによる坏土の顆粒化は、焼成タイルの歪や、大きさの不均一性を少なくし、タイルの品質を著しく向上させた。この画期的なスプレードライヤーは、地域内では杉浦鎌次郎が製薬の顆粒化技術をヒントに開発したといわれるが、昭和44年7月前田陶料で、笠原第1号が稼働を始めた。これ以後笠原町内にこの設備の増加がみられた。工場設備には巨額な資本を要したが、スプレードライヤーの設備は、従来の製土工場がフィルタープレスに替えて設置し、坏土顆粒粉をタイル工場へ供給した。
タイル生産の技術革新は、多方面にみられた。
油圧による大型自動プレスの利用は、大型タイルの生産を促進させ、モザイクタイルに代わる、外装・床タイルなどの生産を拡大させた。その他紙張装置なども開発され、タイル生産の能率を高めるだけでなく、省力の点にも大きく役立った。
昭和30年以来・トンネル窯導入の成果が上がったが、焼成窯における改善・開発もさらに進み、また窯の燃料変革も焼成高率を一層高めた。昭和20年代には燃料も石炭から重油に代わり、更に昭和40年ころよりLPG(プロパンガス)の利用が広まった。
焼成窯もトンネル窯を始め、シャットル窯、トラックキルンなど、それぞれ生産体制に即応して多様化した。美濃焼業界では、ガスのシャットル窯は、昭和45年ころから窯にセットされた。
この窯は台車に匣鉢を積み、台車が焼成中には、窯の外にある別の台車に匣鉢を積む。窯内の台車の焼成が完了すると、窯外の台車と交代するという、小企業にとって効果的な窯で、タイル焼成以外の食器生産にも広く利用できる、便利な窯であった。台車は一窯一台のものが多いが、二台入るものもあり、窯の場所をとらないという利点もあった。
このような技術革新のなかで、昭和59年1月に、カネキ製陶所が、最も近代的な「ローラーハースキルン」を、音羽工場に完成した。能率の高いローラーハースキルンについては、昭和44年に中央タイル窯業が、笠原ではじめて設置して成果をあげたが、大型で(全長55メートル)、全自動的な設備としては、カネキ製陶所がはじめてであった。
この設備は、成形から焼成までの全工程を、すべてコンピューター制御によって運転する、完全自動化の設備であった。
ここには、従来のサヤ(匣鉢)もなく、台車もなく、裸のままの生製品を乗せたセッターが、ローラーに乗って窯内の熱効率が最大限に利用され、窯内の焼成時間も、これまでの24時間かかったものが、僅か1時間ですむという迅速型省エネである。人手のかかるところは、最後の品質検査と、製品の箱詰めだけで、生産中工場内には、全く人影が見えないという省力の、自動生産設備である。
このほか、昭和48年ころから、アンダーフライヤーキルンと呼ばれる下部燃焼方式の窯が出現してきた。初めは瓦の焼成に利用されたといわれるが、それまでの窯と異なり、製品を詰めたサヤと台車の間を火炎が通り、理想的に炎がかかり、焼成むらが解消される。従来の窯に比べ、台車も大きくなり、サヤを積む量も多くなった利点があった。
生産技術の発展は、いろいろの成果をもたらしたが、タイルの「ユニット化」も、その一つである。
タイルの使用上、便利な方法として考案されたのは、タイルのユニット化である。細かいモザイクタイルを、一定の大きさ(30センチ平方)の台紙には張りつけ、そのまま壁や床に張りつけるのがタイルのユニット化である。ユニット化以前は、あの小さいモザイクタイルも、一枚一枚張っていたといわれるが随分手間のかかった作業であったわけである。ユニット化の考案で、タイル張りの作業を能率化し、タイル利用の需要を増加させたといわれる。
一方タイルのユニット化は、タイルの紙張り作業を増加させた。
タイル生産の笠原でも、タイル増産時代には、この紙張り作業の仕事が増え、特に家庭主婦の参加が目立った。主にサラリーマン家庭、子持ち家族が中心で、一時は参加戸数が、約580戸にもなり、笠原のタイル産業発展の、貴重な労働力であった。紙張りの下請け作業は、タイル生産地の周辺に大きく広がっていった。
タイル産業の技術革新は、タイルの品質向上にもつながった。品質評価の一つのパロメーターとして、JISマーク(日本工業規格)制度があるが、笠原のタイル業界も、昭和50年代に入ってから、JISマーク表示許可を取得した工場が増加し、笠原タイルの優秀性を、内外に明示するところとなった。
タイル産業界の技術革新により、タイルの生産能率があがり、品質向上をもたらし、労働生産性を高めることになり、タイル産業の発展に大きく貢献した。しかしその反面、同業者間の生産競争を一段と激化させることになり、また台湾や韓国など、新興タイル生産国の生産力向上をもたらし、これらの国との生産競争という、新しい問題を投げかけられることもなった。
タイル生産技術の発展は、多種類の製品を生産し、タイル需要を増大させたが、消費者の要求ともあいまって、タイル製品の形状・色彩・図柄など、ますます高度化し、多様化の傾向となった。
タイル生産は、初め小型のモザイクタイルが中心であったが、次第に大型タイルの生産が進み、外装や床タイルの増産となった。また、タイルの表面を凸凹成形させ、施釉の効果を生かしたレリーフタイルの生産も新しい特色で、平面タイルと立体タイルを使った陶板・陶壁の作成など、美術工芸的なタイル生産もみられるようになった。山内逸三の陶壁も、この例である。このほか公園や街路に敷いたクリンカータイルなど、タイルの機能性とデザイン性の特色を両立させる、新しいタイルの生産がみられるようになった。
いま、町内のタイル工場へ入ってみるとまず生産設備や生産システムの充実に目を見張るが、生産面だけでなく、公害対策や従業員の安全、衛生管理面など、生産面以外の施設・設備の改善も進み、能率的で明るい工場風景という感じが強い。
工場全体の管理方法も、新しいコンピューター技術を活用したモニター方式が採用され、ここにもタイル工場の近代化がうかがえる。
以上に述べたように、昭和30年代以後笠原におけるタイル産業は、いろいろな点で大きく変ぼうしたが、生産販売体制の面でも変化がみられる。従来のタイルメーカーは、それぞれ独自の立場で生産活動を行ってきたが、最近は、INAX・淡陶・東陶など、大手企業と生産提携を結び、その大手企業の系列メーカーとして、タイル生産を行っている状態が多くなったが、これも町内タイル業界の変ぼうの一つといえるであろう。
笠原町のタイル主原料としての信楽アプライト長石笠原町タイルは、当初、還元焼成で作られていました。
ところが、還元焼成では、カラーバリエーションに乏しく焼費効率も悪いため、その後は、還元焼成から酸化焼成へと焼成方法も改良され、それにともない笠原のタイルは、一躍脚光を浴びる様になりました。
笠原のタイルは、長石質陶器タイルのため、多量の長石が使われております。信楽アプライト長石は、雲母や鉄分が少量である特性から、酸化焼成にうまくマッチし、今日では、酸化焼成に必要不可欠のものとして、広く使われております。
今回の笠原町のタイル部門は、信楽アプライト長石の導入によって、高度成長を成し遂げ、世界一のタイルの町と呼ばれるまでになりました。
 

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